パキスタン ガンバル・ゾム 初登頂 報告

寄稿者:鈴木雄大 寄稿日:2024/4/24 文/鈴木雄大  写真/鈴木雄大・成田啓

【対象】

パキスタン ヒンドゥーラジ山脈
カラコルムとヒンドゥークシュの間にある山脈、最高峰はコヨ ゾム6872m

ガンバル ゾム ダルコット村から一望できる巨大な山塊。1〜5峰のそれぞれ独立した鋭利なピークからなる。最高峰である1峰には、1973年にイタリア隊が南面(写真の反対側)から登頂しているが、その他の4つのピークは完全な未踏峰と思われる。イタリア隊の記録も詳細なものはなく、出発段階では未知に包まれたピークであった。結局計画当初の北壁はセラックや氷河崩壊で取り付けず、この複雑な稜線を登った。

↑The unclimbed north-northwest ridge of Ghamobar Zom seen in profile.
In the right snow conditions, this 2,000m arête would be a great alpine-style challenge.

【行動概略】

8/21 成田空港出国
8/22 深夜0時イスラマバード、そのまま朝 5時の便でギルギット 8/23,24 ギルギットにて準備
8/25 ギルギット→グピス
8/26 グピス→ダルコット(最終の村)
8/27 ダルコット→ガンバルゾムBC偵察日帰り
8/28 ダルコット→BC入り BC=3380m
8/29 BC→4700mタッチして往復
8/30 アタック(兼順応トライ)の準備
8/31 BC→ABC(=4600m)
9/1 ABCにてレスト
9/2 ABC→5200m
9/3 5200m→5400m
9/4 5400m→5670m 高山病で敗退
9/5 5670m→5200m 9/6 5200m→BC下山 9/7.8 レスト
9/9 BC→ダルコットへ一度降りる
9/10.11 レスト(村で全員下痢になる)
9/12 代理店から「テロのため1週間以内の遠征中止」を求められ、急遽BCに戻る
9/13,14 最後のアタック準備、レスト
9/15 BC 3380m → ABC 4600m  
9/16 ABC レスト
9/17 ABC → C1 5400m
9/18 C1 → C2 5750m
9/19 C2 5750m → ガンバルゾムⅤ山頂 6400m → C3 6090m
9/20 C3 → C4 5560m
9/21 C4 → ABC 4600m
9/22 ABC → BC 3380m
9/23 片付け
9/24 午前ダルコットへ。グピスまで戻る
9/25 グピス→ギルギット→フンザ
9/26-10/1 フンザ 10/1イスラマバードへ
10/2-4 イスラマバード
10/5 帰国

【メンバー】

・鈴木雄大 (94年生まれ) 早稲田大学山岳部OB、コーチ 
・西田由宇 (95年生まれ)  東海大山岳部OB
・成田啓 (96年生まれ)  北大山の会(山岳部OB会)所属。山梨県出身、北海道在住。 2023-24:早稲田大学山岳部コーチ

【手記】
3年程前だろうか。パキスタンの山々を調べていると、ガンバルゾムという何とも印象深い名前の山を私は見つけた。更に深く調べていくと、この巨大な山塊の北面は全て未踏で、5つのピークのうち登られているのは、真ん中の一峰のみ。その他はどこを登っても未踏だ。確証もなく、ぼやけた写真しか手元になかったが、この情報だけでも何とも魅力的な山域であると感じた。そして、今回の挑戦を決定付けたのは、敗退を喫した昨年のガッシャーブルム6峰遠征にて、偶然BCで隣に居合わせたイギリス人クライマーのトム・リビングストンとの出会いだ。彼が過去に素晴らしい登攀をしたコヨゾムは、ガンバルゾムの正面に位置し、「岩がエクセレントだった」「凄い山々が沢山見えたよ」といった発言の連続に、私の中で次の遠征先の第一候補に急浮上した。加えて、特別な登山許可費用が必要な標高が6500m以上なのに対し、ガンバルゾム5峰は6400mという、絶妙な標高だったのもターゲットに選んだ大きな一因であった。

パキスタンという国柄、幾つものトラブルを想定して入国するものの、イスラマバードにさえ立ち寄らず、不快な空港泊を経て嘘のようにスムーズにギルギットへの国内線に搭乗。そしてハイエースで悪路を突破し、ダルコット村へ。4時間程度のトレッキングを経て、日本から僅か1週間で、全ての準備を済ませてBC入りする事が出来た。その短いアプローチの道中、なぜこの山の北面が全て未踏なのか、皆が察することになった。氷河が余りにズタボロなのと、稜線や壁に恐ろしく垂れ下がる巨大なセラックが要因だった。

そんな中、我々が唯一トライできそうな登攀対象が、ガンバルゾム5峰の北西リッジであった。リッジといっても遠目にも大きく見えるミックス壁の登攀や、核心部を超えた後に 1.5km以上続く複雑そうな雪稜など、厳しいクライミングが予想されたが、ロシアンルーレット的な危険を避けて、この山に初登頂するには、このリッジ以外の選択肢はなかった。何より、見れば見るほどに見栄えのする格好良いリッジであった。

近くに高所順応に適した容易な山もなく、悪天周期の予報も迫っていたので、BC到着翌日に4700mを慌ただしく1度タッチしたのみの不十分な順応状態で、早速トライを開始した。遠目にも見ていたように、フリーソロする訳にはいかないが、ロープが岩角に引っかかるような厄介なギザギザとした稜線が暫く続く。この先が上手く繋がっているか、先が見えないリッジ登攀ならではのワクワク感に踊らされながら、やがて完全な壁と対峙する。ここは成田がロープ一杯60mのクライミングで上手く超えた。まるで雪が積もった小樽赤岩のような岩質で、赤岩で登り込んできた僕らは自信をもって構えていられた。この後もロープの長さでいうと10ピッチ以上の複雑なリッジを、適宜プロテクションを設置しながら、1ピッチの長大な同時登攀で超えて行く。途中嫌らしいセクションが何度か出てくるが、錫杖や瑞牆で繰り返し同時登攀のトレーニングした成果を発揮できた。このセクションは私のリードだったが、後続の2人を信じて、ここでは絶対に誰も落ちないだろうとグイグイとロープを伸ばすことができた。

そして、ルート全体の核心だろうと睨んでいた高さ100mのミックス壁と対峙する。ここも北海道の雷電やカミホロ、赤岩のような岩質で、脆い岩をグローブで雪を払って慎重に掴みながら、行き詰まったと思ったらアックスの刃先だけがスポッと入るような割れ目が出てくる。緊張感のあるリードで鈴木、成田がジリジリと伸ばし、2ピッチ一杯で突破。4ヶ月前のペルー遠征に来られなかった影響もあるのか、高所順応に遅れをとっていた西田も重荷を背負いながら頑張ってフォローする。

そして3日目、息を吹き返した西田が、ここにきて最高の岩質のミックス壁を超えていく。滝谷の硬い岩のピッチのような、ハイライトパートとなった。しかしその直後、雪稜にトップアウトしたところで、顕著な高山病の症状が出てしまう。満足のいく高所順応も出来ず、半ば慌ててトライしたので、当然の事だったかもしれない。5700m地点で、皆での再トライを誓って敗退を決意した。山頂まではあと700mもあるので、近いようで遠いだろう。まだ遠征は始まったばかりだ。我々は好感触を掴んで長い下降に取り掛かった。

BCまでの長い道のりを戻り、完全休養のためにダルコット村へ。だが、この村の料理が酷く、あろう事か3人とも下痢となってしまう。特に私の状態が最悪だったが、これで4回目のヒマラヤ系登山で4回連続の下痢なので、何となく自分の体調は分かっていた。そんな中、これまで随分と大人しかった登山代理店から、「国境付近でテロが起きたので、後1 週間で遠征を終わらせてくれ」と突然の連絡が入る。これは大変だ!遠征が強制終了されるかもしれない。皆の体調は万全とは程遠かったが、急いでBCへ戻り、再トライに向かう。これだからパキスタンでの登山は難しい。自分のペースでクライミングをさせてもらえないのだ。

9月15日、再びBCを発つ。山頂まで3000m、長旅の始まりだ。16日、ABCでのレストを挟んで、17日には100mのミックス壁の手前まで距離を稼ぐ。1回目のトライよりも格段にペースは上がっている。

そして18日、登攀2日目。前回トライの反省点を踏まえ、10mの垂壁を二つ、直登で超えると厄介な稜線のトラバースを大幅に省略できそうだったので、直登の新ルートから突破を試みる。一つ目は鈴木が、まあまあ寒かったが、スピードを上げるために素手になり、ドライツーリングと5.9程度のフィンガージャムで登るが、ホールドがなくなり行き詰ま る。少しばかりもがいていると、アックスのリーチなら何とか届くガバを発見。天からの贈り物のようだった。そして2つ目の脆そうな垂壁も成田が、岩の堅い弱点を上手く見つけ出し突破。結果的に、前回トライより1日短縮する形で5750mのC2まで到達できた。この時点で、皆の高所順応状態も良く、首尾よく前回の最高地点を超えられた。隊の士気も盛り上がってきている。

19日、さあここからは未知の領域だ。アイゼンがサクサク決まる快適な雪稜を期待していたが、それは空想に終わる。山頂までの道のりはブルーアイスばかりで、一瞬たりとも気の抜けないアックスの叩き込みとアイゼンの蹴り込みで、スクリューやスノーバーを60m に1本ほど設置しながら同時登攀で進んで行く。新品だった我々のアイゼンは、ここまでの激しいリッジ登攀で、丸くなり、油断をすると硬い氷に弾かれる。リードはフォローを信じ、フォローは同時登攀なので休みたくても付いて行くしかない。6000mも超え、とても辛い単調な動作の連続だ。やがて、この2000mのリッジ全体を通して、最もで平らな台地へと乗り上げ、時計を見ると12時半。  標高は6090mなので、あと310mで山頂のはずだ。話し合いの末、ここに要らない荷物をデポし、一気に山頂アタックへ賭けることで合致。私は予期せぬラッセルや時間のかかる複雑な稜線に備え、皆のボトル一杯に雪を溶かしてお湯を沸かす。その間に、成田が雪壁のリードを開始。これから未知の領域に突っ込むのに、時間的に余裕とは言えないが、もう突き進むしかない。

落ちてきたらアウトなセラックの下をできるだけ素早く通過し、山頂へと続く稜線へ這い上がる。そして、ここからは単調な歩きでピークに辿り着きそうだった。ラッセルをしながら進んでいく。やっと終わる。と最後の5mを登った瞬間、体感で1キロ程先に、更なる高みに鋭利なキノコ雪のようなものが見える。地図を持っている成田に「ピークはもっと奥だ」と言われ、確認すると、遠くに見えるあれこそが本当のピークのようだ。ビバーク道具も切り捨ててきているので、絶望している暇もなく、皆黙々と歩みを続ける。例の如く、青氷のトラバースや際どい雪壁登攀を交えて鋭い山頂まで、皆スイッチが入ったように最後の力を振り絞り、次々と出てくる小ピークを超えていく事ができた。

山頂に着いたのは夕方6時前。既に暗くなり始めていたが、1人がやっと立てるほどの小さな鋭いピークに3人交代で立ち、ヒンドゥークシュに沈む素晴らしい夕日を眺めた。登頂の余韻も冷めぬまま、時間をかけてもいいからと確実に降りて行く。懸垂下降もできないリッジなので、クライムダウンで一つ一つの動作を確実にこなし、やっとの思いで6090mのデポ地点に戻った。

20日、ABCを出て4日目となる。今日はもう登らなくて良いが、それ以上に辛い青氷のクライムダウンとトラバースが待っている。懸垂下降をしていたら時間が幾らあっても足りないので、一瞬たりとも気を抜けない。丸まったアイゼンとアックスの刃先を確実に確認しながら地道に降りて行く。ある意味登りよりも辛い。神経をすり減らし、傾斜の強まるミックス壁のリッジまで降りて来られた。ここからは懸垂下降となるが、リッジ上の複雑な懸垂なので、引き続き気はぬけない。しかし、西田が一瞬の気の緩みで、懸垂下降中にバランスを崩し、リッジの側壁に振り子のように叩きつけられる。幸い、骨折などはせず、我慢できる程度の怪我で済んだが、サングラスはヒビだらけ、目の周りには血が滲んでいた。その後も何とか声をかけ合いながら5560mのC4まで降りる。

21日、今日で登攀5日目。複雑なリッジで相変わらず下降に手間が掛かる。そして、脆く鋭い岩壁のセクションを懸垂下降中に、ふと下を確認すると、異様に片方のロープだけが短いなと、異変に気づく。なんと、鋭利な落石がロープに直撃し、真っ二つに切断されていたのだ。私は初めての経験に一瞬動揺し、気の緩みにバランスを崩してロープに振られ、壁に激突した。幸い膝の打撲で済んだが、短く切断されたロープに早めに気づけて良かった。 その後も疲労困憊で10ピッチ以上の同時クライムダウンや、青氷のキックステップを集中して処理し、夕暮れにABCに戻る事ができた。3人中2人はロキソニンに頼りながらの下降となる始末で、心身共にボロボロに擦り切れると共に、皆の心は充実感で満たされていた。

【食糧】

1人1食あたり280kcal 米とスープの計100g程度を朝夕5泊分用意。初日は少しだけ多め。
その他行動食は1人900kcal程度を5日分+α携行。ガス缶は小で4つ

【装備】
・ロープ
1回目のトライでJokerゴールデンドライが大分消耗したので、2回目はアイスラインゴールデンドライ2本に変更。岩が脆いのに鋭く、懸垂下降中にミスで落石をあてて完全に切られてしまった。余りのロープは肩にかけて懸垂下降すべきだった。

・プロテクション
アルパインドロー8本、カラビナ=オズとスリング=べアール6mmの組み合わせ中心。軽量さとハンドリングのバランスが良かった。分厚いグローブなので、引っかからないワイヤーフードが助かる。

カム3本 #0.75/1/2 ウルトラライトの軽さとZ4の汎用性に助けられた。軽量化のため、思い切って3本まで減らした。代わりにナッツ8本とトライカム4本を追加し、重量と弾数のバランスをとった。その他にBDウルトラライトアイススクリューを6本携行。5800m あたりから終始続いていた鉄氷に良くきいてくれた。とても軽いので身につけている間も助かった。

・BD ビジョンハーネス
前までBDテクニシャンを使っていたが、今回からこちらを購入させて頂いた。全く水を吸わないし、アイスクリッパーも付いていて、何より軽いのが良かった。ちょっとしたハンギングビレイでも腰が痛くならなかった。

・スカルパ ファントムテック
今回アタック時の予報が体感気温マイナス23度程度だったので、ダブルブーツにしようか迷っていたが、思い切ってこちらを選択した。もう一つBCに持参していたスポルティバのG2と比べると両足で480gくらい軽くなるので、本当に大きなアドバンテージだった。流石に登頂時は寒かったが、毎晩テントに入れそうなパキスタンの6500m程度の山ならこれでどこでも行けそう。(冬期除く)

・SEA TO SUMMIT FmⅢ
寝袋は2人がFmⅢで、真ん中で寝る人がパタゴニアの半シュラフとした。
いざという時、(例えば一回目トライ中に西田が高山病)FmⅢは二つを連結できるので助かった。

以上

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