ACC・紫蘭会のこと&天山トレッキングの旅
小倉董子さん 川井耿子さん 講師として参加
寄稿者: 川井耿子 , 小倉董子 寄稿日:2025/7/31(会報163号掲載)
注)八嶋さんが「海外トレッキングの様子」を会報に載せる為、川井信矢さん(ご子息)にお願いして資料の提供を受けました。このような経過があり、八嶋さんの依頼で深谷さんが会報用として整理、まとめたものです。
このトレッキングは、1988年に「ACC」(朝日カルチャーセンタの略)に所属する「紫蘭会」によって実施されたものである。
では、「紫蘭会」とはどんな組織かというと、1975年(昭和50)ACCの中の「女性のための登山教室」(その後「女性のための登山教室」)が開講されたことがきっかけで誕生した会という。第一回の「女性のための登山教室」が開かれた翌年(1976)に有志20余名が集まり、3人の代表と会の名称を決める。その名称を決めた時の話が面白い。参加者が山のことなんか「何も知らん」「知らんよ」等と冗談を言い合っているうち、「知らん」→「しらん」→「紫蘭会」という名称が誕生したという。そしてその活動の中心になったのが、小倉董子さん。
彼女は、「紫蘭会」のモットーとして「女性の女性による 女性のための」山登りを目指した。毎日のトレーニング、山の準備から山行計画・山での行動、リーダーシップのすべてを女性だけでやるという、徹底ぶりであった。その小倉董子さんと共に会を支えたのは後輩・川井耿子さんだった。
紫蘭会の活動は、国内外の山に及び、海外にも目を向け、中國雲南省(1986年)やニュージーランド等々に出かけていた。特に、1988年は、1月にニュージーランドトレキッングを実施していたので、7月からの天山行きは、その年2回目の海外トレッキングだった。2回のトレッキングの講師は、いずれも小倉&川井の両氏が担当(同行)している。
参加者募集は、次のようなものであった。
| ACC・紫蘭会 天山トレッキング 1988年7月26日(火)~8月9日(火) 同行講師 小倉董子先生 川井耿子先生 参加者 12名 添乗員 日中平和観光(株) 横山 泉 参加費 658、000円 |
岩と砂と緑と 天山トレッキングの旅(行動記録)
〈はじめに〉
天山トレッキング計画のきっかけは、2年前にさかのぼる。1986年ACC紫蘭会雲南山麓トレッキングが行われた際、現地到着時点で第一の目的であった点蒼山が登山禁止になってしまった。その原因が、日本人による昆虫採集ということだった。北京から同行してくださった周先生は、大変責任を感じられ「この次は私のホームグランドである天山にいらしてください」と言ってくださったことがきっかけとなった、のである。あれから2年。私たちは周先生との約束通り、再び中國の大地を踏むことになったのである。(小倉)

7月26日(成田~北京) 歓迎の宴会等。晩、自由行動 北京(泊)
7月27日(北京~ウルムチ)天安門広場・故宮博物館見学等 ウルムチ(泊)
成田空港から北京まで4時間。そして、新彊ウイグル自治区の中心地ウルムチまで4時間弱、交通網の発達と平和であることのおかげでわずかの時間で私たちは、秘境の地へ降りたっていたのだった。天山トレッキングの旅は、このオアシス都市ウルムチを基点に始まったのである。(小倉)
7月28日(ウルムチ~カシュガル)玉石工場・絨毯工場等見学後 カシュガル(泊)
ウルムチから国境の町・カジュガルへ飛び、私たちの旅は順調だったが、カラクリ湖(37000m)への道、中巴公路(中国—パキスタン)には、思いもかけない事件が、私たちを待ち構えていた。(小倉)
7月29日(カシュガル・中巴公路)バスで出発、アクシデント続発(土砂流で何度も道路崩壊のため停車。0:25(7/30)バスの中での宿泊決める バス車中(泊)
バスの事故。天山の雪解け水による土砂流による道路寸断、中國で自慢の道路も 文明の利器も自然の猛威の前にはまことに頼りないものだった。しかし、一方では「自然の中では予定は未定。最悪の条件の中でどう判断し、どう対処するか」という実地訓練の場になったようだ。紫蘭会のメンバーの、いざという時のチームワークのよさが発揮された場面がしばしばあった。このような時こそ私たちと紫蘭会の絆を強く感じ、ひそかに幸せをかみしめることができる。バスの中での不安 な一夜。パオで過ごした楽しかった二日間(7/30と7/31)。高山病に悩まされた人もいたが、助け合い励まし合い、実に充実した日々であった。(小倉)
7月30日(カラクリ湖)バスでバスクリ湖、カラクリ湖畔散策 カラクリ湖パオ(泊)
カラクリ湖に白い姿を写したムスターグ・アタ峰(氷山の父・7546m)、コングール峰(7719m)のキリギスの帽子といわれる頂が、赤く染まる時間に出会えた時は、やっぱり来てよかった」と誰しもが思ったに違いない。(川井)

7月31日(カラクリ湖)キリギス族の村見学・牧場見学他 カラクリ湖パオ(泊)
キリギス族の部落を訪れた時は、渡渉を強いられたが、子供のようにはしゃぎながら、大いに楽しむことができた。もっとも不安と恐怖を感じた人もいただろうが…。ここでも温かいもてなしを受け、どんなに心がなごんだことか。勇壮な ? (ティアオヤン)山羊狩りゲームは、砂ぼこりに悩まされたが、太古の昔にタイムスリップしたようなひとときだった。(川井)
8月1日 (カラクリ湖~カシュガル)新彊茂源旅行社の3台の車到着。それで出発し、エイティガール寺院見学。 カシュガル賓館(泊)
通訳の祁さんの決死的連絡のおかげで、茂原社旅行者の社長、副社長自ら、ウルムチからカラクリ湖までの2300㎞を昼夜を分かたず走り続け、信頼できる日本の四輪駆動車でかけつけてくださった。その誠意には感謝したい。とにもかくにも、アドベンチャーの領域も味わえたのだからラッキーな旅だったといえるだろう。(川井)注:7/29のバスの事故で、急遽旅行社に車の手配を依頼していたのだろう。
8月2日(カシュガル~ウルムチ)工芸美術館等を見学、飛行機でウルムチへ 華僑賓館(ウルムチ)
8月3日(ウルムチ~天池)天池では、周辺を散策。 天池のバンガロー(泊)
8月4日(天池) 福寿山登頂(2640m)~天池遊覧 天池のバンガロー(泊)
天池では、これまた予定は未定という場面(宿泊予定の変更)もあったが、明るい性格のガイド李さんとの福寿山登山は、実に愉快だった。
「どの山が福寿山?」「あの山」
「じゃあ、あのコースを登るの?」「そう」。
ところが、登る山は全然方角違いだった。福寿山は2700mと聞いていた。とにかく26、70㎞地点まで登る。結局のところ「あのピークは、パーパ。そしてあのピークは、マーマ。そして息子・娘……」という。ここでも中国的発想に私たちはシャッポを脱ぐしかなかった。
天池の湖畔を散策する観光客は大勢いたが、ハイキングをする人は皆無だった。緑のあるところ、急な山でも、牛や羊を飼うための生活の場でしかないのだろう。中國では、登山やハイキング、ましてやトレッキングなど、庶民には存在しないのかもしれない。(川井)
※報告の最後に川井さんの「福寿山の娘」の随想文を掲載
8月5日(天池~ウルムチ~トルファン)ウルムチに戻り、市内見学。晩、歌舞鑑賞 トルファン賓館(泊)
熱いトルファン(最も熱い7月の平均気温33℃以上。最高気温は48℃)の熱さ体験も乾燥しているせいか、湿気の多い日本の夏よりも楽のような気がした。もっとも道中は、冷房車だったせいもあるかもしれない。(川井)
8月6日(トルファン)ベゼクリク千仏洞見学/アスターナ古墳群見学。 市内見学。晩、旅行者主催の晩餐会。 ウルムチ華僑賓館(泊)
アスターナ古墳群見物での2千年前の夫婦のミイラとの対面は、実に感動的だった。ガラス越しの博物館で見るミイラとは違って、一体感を感じることができた。(川井)
8月7日(ウルムチ~北京)ウルムチ空港から北京空港へ 北京・京倫飯店(泊)
8月8日(北京)北京市内見学(動物園でパンダ・明の十三陵・万里の長城等) 北京・京倫飯店(泊)
8月9日(北京~大阪~羽田)午前中買い物 JL786便で出発 羽田で解散。
〈おわりに〉
中近東の香り濃い街並みと生きることにたくましさを感じる人々の活気。それは雲南とは違ったものだった。一生分食べたような気になった西瓜の味、話題のハミ瓜もぶどうもあの乾燥した場所で食べるからおいしいのだろう。天山の山々の恩恵を受けたオアシス都市の繁栄をみるにつけ、 歴史をふり返ってみる楽しみが、より深くなったような気がする。
「砂と岩の世界」シルクロードは、私たちに夢を与えてくれる不思議な魅力をもっている。
天山トレッキングの旅は、わずか15日間とは思えない充実した旅であった。(川井)
岩と砂と緑と 天山トレッキングの旅(行動記録)をまとめて
深谷純一(S40年教育卒)
このトレッキングの記録を読んで驚いた。まず実施したのが1988年。それも中国でも秘境の地と言われた新彊ウイグルの天山である。ここはシルクロードの西の端、いくつもの国(キリギス・タジキスタン・パキスタン・ソ連等々)と国境を接している地でもある。今でこそこれらの国々にも簡単に行けるようになったが、まだまだ探検とか冒険とかいった方がよい一帯だったはず。
また、日本の80年代というのは、いわゆるバブル経済が始まって世の中が浮足立ってきた頃だったが、世界に目を転じると、/チェルノブイリ原発事故(1,986年)/ソ連ペレストロイカ開始(1988年)/天安門事件・ベルリンの壁崩壊(1989年)等の大きな事件が起こっていた。
とりわけ、中ソの対立(1963~82頃まで)から天山方面への立ち入りもゆるされなかったようだ。 このトレッキング実施の頃は、中ソがようやく雪解から接近(1982~89)という時期に入っていたので、入山を許可されたのだろう。それにしても、こうした時代に天山トレッキングを女性ばかりで15日間にわたって実施し、貫徹して来られたことは、何とも凄いことだ。快挙と言ってよいのではないか。勇気ある大和乙女達を讃えたい。
トレッキング終了後、朝日カルチャーセンター事業部長の小林貞夫氏が書かれたな文章が面白かったので、概略ご紹介しておく。
題は「ひやひや 天山トレッキング」。氏には、今回のトレッキングは、この題に象徴されるものだったようだ。氏は、紫蘭会の活動ぶりに驚きながらも、今回の旅の難しさを次のように書いている。
「今回はソ連国境に近いカシュガルからカラクリ湖まで行く大旅行でした。中ソの対立の影響で、最近まで外国人の立ち入りが禁止されていた地域ですから、旅行者のための施設などが不十分ですし、スムーズに日程が消化できないのではと予想されました。」(※最初から困難が予想されていたのだ。)
そして、2週間後。「無事帰国されたのですが、現地でブレーキの効かないバスに乗せられ、あわや!という事態もあったと聞いた時はビックリしました。(※一大事故の予感をされた?)小倉隊長の決断でバスの中で一泊したり、まさに冒険旅行だったようです。これが中国の現状なのかも知れませんが、いくら危険がつきものといっても、女性の方々には刺激が強すぎたのでは。」(※少々あきれ顔のご様子)。だが、最後に参加者たちの満足した感想を紹介した後、「天池や福寿山のトレッキングも順調に行われ、広大な中国大陸の魅力を満喫されたようで、うらやましい限りです。」と、うまくつじつまを合わせておられました。
福寿山の娘?
川井耿子
「これ全部福寿山です。福寿山のパーパ、ママ、息子、娘…」という李さんの言葉に、「?!」
天池という宝石のような湖のそばに、福住山という高山植物の美しい山があると聞いて、ぜひそこへ登ってみたいと計画したのでした。 約2600mの高さらしいが、そこへ登るルートは…などと問い合わせてみても、何だか今一つはっきりしない。現地を訪れた旅行社の方も土地の人に聞いてみたが知らなかった、とのこと。まあとにかく行ってみるより仕方がない。
そして、山の上に行ってみてはじめて、福寿山の正体がわかったのです。何と天池のまわりの山全部が福寿山なのでした。さすが中国!でもそれならそうと、はじめにひとこと言って下されば…「どこにでもルートはあります。お好きなように、どのピークにでも登ってください。」と。
周先生との打合せでも、山のガイドの李さんとの打合せでも、頂上まで2時間、いや4時間。或いは、往復時間などと、いろいろの説が出たので「一体どうなっているの!」とわけがわからなかったのも当然でした。あの真剣な作戦会議(?)を思い出すと笑ってしまいます。でも沢山の美しい花や蝶、真っ白いボゴダ峰を間近に眺めながらの山歩きと共に楽しい思い出のひとこまです。

